私のPC履歴書(その2)

Oct. 9, 2002


1995年頃になるとDOS/V勢力がますます台頭し,98を捨ててDOS/Vに移行したいという気持ちも 日増しに強くなった. 折りしも社内ネットワーク化のために大量のDOS/Vマシンが職場に続々とやって来ていた. 筆者が当時勤めていた会社はネットワーク化に かなり力を入れており,一人一台を目標にどんどん新型マシンを導入していたのである. 経費削減のため新しく導入されるマシンはすべてDOS/V機であった. 他の人よりちょっとだけPCに詳しかった筆者は, 名誉あるシステムサポータ(本当にそう呼ばれていた)の一員に任命され, 自分の部署にあるマシンのお守りをすることになったのである.

当時の社内LANで使われてプロトコルはTCP/IPではなく,Novel社のNetwareであった. クライアントのマシンはWin3.1であり,それにNetwareをインストールしていた. メールのやり取りやファイルおよびプリンタの共有にはGroupWiseと呼ばれるグループウエアを使っていた. GroupWise自体はなかなか良くできており,一旦きちんと動き出すとあまり問題は発生しなかったようである. ただし,きちんと動くようにするまでのNICの設定に四苦八苦していた.

そのころのNICは当然ISAで,マシンが納入時期の違いから多種多様であったため, あるマシンでうまくいった方法が他のマシンでは使えなかったりした. システムサポータたちのボスがマニュアルを作ったりしていたが,なかなか一筋縄では行かず, 連日の残業だった.

筆者が職場で使っていたマシンは富士通のカラーノートで,DX4 75MHz,8MB,340MBといったところである. 他のマシンも似たようなものだったが,Win3.1を動かすにはとりあえず問題なかった. ただし,Netwareを導入するとリソースは常に不足気味だった. 今日の必ずトクする一言の定義に 従えば,当時の筆者はB級PCユーザで,雑誌の付録やパソコン通信からフリーソフトウエアを持ってきては 会社のマシンにインストールして楽しんでいた. 検疫を受けずに外国から肉を持ち込むようなもので,今考えれば恐ろしいことであるが, その頃は今ほどウィルスの脅威は無かったのである. プログラムマネージャ(何のことかわからない向きは近くの古参PCユーザに尋ねてみて欲しい)に アイコンをたくさん追加すると,

このウィンドウにはこれ以上アイコンを登録できません

というメッセージが出ていたのを思い出す.

このころはDelphiにかなり熱中していた. 発売される本はほとんど購入し,NIFTYで始まったDelphi会議室にもちょくちょく顔を出した. その甲斐あって,Windowsのプログラミングスタイルにもかなり慣れてきた. ある日,筆者が試しに作ったプログラムを上司に見せると,それを部署全員に配って使わせろと言う. そのプログラムとは,その頃筆者が従事していたあるプラントのシュミレータである. シュミレータとは言っても大した計算をしていたわけではなかったが,それまで電卓でやっていた 計算に変わるものとして意外に受けがよく,上司に頼んで発売されたばかりのDelphi ver.2.0を 買ってもらったのであった.

そうこうしているうちにWindows 95が発売された. このニュースはメディアで大きく取り上げられ,秋葉原には深夜からの販売開始にも拘わらず多くの人が殺到した. しかしながら,筆者の自宅マシンは相変わらず旧八で,Win95を動かすにはちと無理があった. メモリを増設しようにも,筆者の旧八は16MB以上のメモリを積むことができなかったような記憶がある. また,HDDを増設しようにも,単なるIDEでは上限が500MBである.

そんなある日,NIFTYの掲示板を何気に見ていると,Compaq Prolineaを本体のみ5万円で売りに出している人がいた. スペックはDX2 66MHz,8MB,420MBであり,手持ちの旧八とほとんど同じであったが, メモリ増設の制限は無く,E-IDEに対応している. また,ほとんど未使用に近い状態らしい. 旧八のローンはまだ残っていたが,意を決して購入することに決めた. 学生時代から続いた旧八時代との決別である.

未払いのローンを残してまでDOS/V機を購入したのは,筆者が旧八を購入した直後に 当時まだ知名度が低かったGateway(当時はGateway2000)のフルタワーマシンを購入した友人に 強く影響されたからである. ディスクトップ型筐体の上にディスプレイを置くというスタイルが当たり前だった時分, 机の傍らに置くフルタワー筐体は衝撃的であった.

さて,Prolineaを手に入れた筆者は早速Win95を購入しインストールした. サウンドカードとCD-ROMドライブは無かったが(前の旧八にはあった),先の友人が余っていた SB互換のカードとSB接続の倍速CD-ROMを譲ってくれた. メモリも8MB増設して16MBとなり,Win95がどうにか使えた. 遅ればせながら,筆者のDOS/V生活がスタートしたのである.

ところが幸せは永くは続かなかった. 購入してしばらく使っていると速度的に不満が出てきた. 友人のGatewayマシン(DX4 100MHz,48MB,1GB)に比べるとかなり遅い. メモリ増設を真っ先に考えるところだが,当時のメモリは非常に高価であった(確か16MBのSIMMが 一枚4万円以上だった). タダでさえ2台目のマシンを購入したことで家人の顰蹙を買っていたので, さらにメモリを買いたいなどとはとても言い出そうものではなかった.

そこに登場したのが,AMD 5x86-P75である. これは486互換のCPUであるが,外部クロック33MHzの4倍速,すなわち133MHzで動作する. 当時のインテルは3倍速のDX4を最後に486の開発を終了し,メインゾーンをPentiumに移し始めていた. Pentium75,90,100, 120あたり載せたマシンが巷の売れ筋であったが, 5x86-P75はその名の通りPentium75と同等の性能を発揮する(らしい). 価格も1万円前後と安い! 自作マニアの間では5x86への換装がブームとなり,NIFTYの自作関連会議室にも,動いた! 動かない!の 報告が続々寄せられていた.

5x86-P75に載せかえればヤツのGatewayに勝てるかも知れない

そう思った筆者は,DX2から5x86への換装にトライしてみることにした(メモリが16MBのままでは どうしようもないのであるが...).

5x86の身辺調査をしてみると,3.3Vの動作電圧に対応しているマザーならだいたい動くようである. 5Vまでしか対応していない場合は,いわゆるゲタを使うことになる. また,ボード上に4倍速の設定が無くても,2倍速の設定にすれば4倍速で動作する. メーカー製マシンでの動作報告も多数あり,会議室でのやり取りを読んでいると,動作報告者の 興奮した様子が伝わってきた. 筆者のProlineaに載せて4倍速で動いたという報告は無かったが, 当時の筆者にはまだ人柱的精神があり,「それじゃあ,やってやろうじゃないの.」という 気持ちが沸き起こってきた.

ショップで5x86,ゲタ,CPUファンを購入した. CPUの換装はこれが初めてであったが,とりあえず無事に作業完了. CPUファンは今のようにソケットに引っ掛けるタイプではなく,CPUにはめ込むようにして取り付ける. ゲタのジャンパを3.3V,4倍速の設定にし,電源を入れたが,起動しない. ジャンパの設定をいろいろと変えてみると,3倍速の100MHzだと起動するのだが, 4倍速ではどうやってもダメであった.

結局,Prolineaでの4倍速動作は失敗に終わったのだが...

(以下続く)


お問い合わせはメールにて: akasaka@klc.ac.jp

戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送